カテゴリー : 2012年 8月

5年目の随想


2007年8月27日の桶狭間合戦に挑むが最初のエントリだった。

このサイトを開設してちょうど5年目となる(実際にはその前に同じドメインでPukiwikiを使ったプレサイトもあったが、余り更新していなかったのでカウントしていない)。これも一つの契機、日頃思っていることを取り留めなく書いてみようと思う。

いわゆる『桶狭間合戦』(このサイトでは『鳴海原合戦』)について、1次史料だけで再構築しようと考えていたのだが……思ったより史料の読み込みが必要で、データ入力作業をしているだけの展開になっている。5年を経て登録文書数は未だ千にも満たぬ。

現在の主題である鳴海原合戦については、2~3の仮説は既に出来上がっている。とはいえ戦国遺文今川氏編の完結が2013年秋となるため、それを待って仮説を完成できればと考えている状態だ。後2年といったところか……。

私事だが、去る3月の初旬に心臓を患うこととなった。不惑を大きく越えて桑年の方が近くなってしまった身。『終わり』は意識していたが、これ程強烈に思い知らされるとは予期していなかった。発作時の対応を誤らず無理をしなければ何事もないのだが、油断は禁物と医師に言われている。

一方奇遇なことに、生業も多事多端となってきた。私が勤めているのは小さな出版社だが、最早斜陽となって長い業界だから大変だったりする。ここ数年は、自分の部署だけではなく全社案件を扱う事が激増しているが、今夏から兄弟会社の諮問も相次いでいる。恐らく後1年は落ち着かないだろう。

とにもかくにも、図書館や古書店に立ち寄る回数も減り、歴史への着想に思いを巡らす頻度も落ちてきた。この隙のなさとGalaxyNoteによる古文書入力の簡便さから、ついついサイトの内容も文書アップばかりになっている。これは少し危険で、文書を読む度に小さな発見や解釈の迷いがあって「今度まとめてみよう」と思いつつも放置している。これを書き残しておかなければ、私の半端な解釈がそのまま流布してしまいそうだ。何とかせねば。

今振り返ると、5年前の文書解釈は結構未熟だ。それなりに解釈をこなしてきた目で見ると汗顔の至りである。何れ修正を試みたい。などと偉そうに書いているが、私は完全に自己流の解釈でしかない。以前「下行米」への指摘を匿名の方から頂戴したが、このような系統だった知識がないのだ(高校2年の日本史が最後)。戦国期の文書は解釈が難しく、識者の方もまだまだ勘で解釈している部分があると思う。だから私のような素人が跋扈する余地があるのだけれど、それでよいのかは自分でも疑問に思う。