カテゴリー : 2013年 2月

真実は時の娘


2013年2月4日、世界中を驚かす速報が流れた。前年9月に英国レスターのとある駐車場から発掘された人骨が、1485年8月22日に32歳で戦死したイングランド王リチャード三世だと確定されたというのだ。この年ボズワース・フィールドの戦いで討ち取られたリチャード三世の遺体は辱めを受けレスターのどこかに埋められたが、その後川に流されたという伝承もあって所在が明らかではなかった。

年代測定でこの時代に埋葬されたことはすぐ確認されたらしいが、その後DNAによる鑑定を続け、リチャードの姉から女系でつながる人物を複数特定した。そして彼らのミトコンドリアと比較したら適合したとのこと。ミトコンドリアは女性を経由してしか遺伝しないため、ほぼ確実だという。

既に頭蓋骨から顔も復元されており、後世ウィリアム・シェイクスピアが描写したような佝僂病・片腕の麻痺などは骨格からは窺えず、ただ極端な脊柱側湾症が判明した。これは別の資料による「右肩が上にあった」という記述と一致する。また、前身に10箇所の損傷が見られ、うち8箇所が頭部に集中していることから、落馬して馬の下敷きになったところを滅多打ちにされたのでは……と推測しているWeb記事もあった。足を引きずっていたというのもシェイクスピアの文だが、これも否定されている(踝から先は残念なことに失われていたので完全否定ではない模様)。

詳しくは、下記のサイトをご参照のほど。
白い猪亭 真実のリチャードを探して

以下は私的な記述。

このサイトの旗印は「Truth is the daughter of time, not of authority」だが、この由来は推理小説『時の娘』(ジョセフィン・ティー著)にある。題材はリチャード三世。彼を抹殺することで成立したチューダー朝によって改変され消されたストーリーを俄か史家である療養中の刑事が組み立てていく。16歳で初読に及んだが、その論理的展開は明快で実に面白く、価値観が大きく変わった。以来、『史実』と称するものをあらゆる視点から疑うことが歴史に対する礼儀であって、後世の通説が仕掛けるプロパガンダを避け少しでも論理的な帰結に近づこうとする義務が後世の人間にはあると考えるようになった。

今回の発見により、この小説が題名に込めた「真理は時が生むものであって、何れは明らかになるのだ」という考え方が現実のものになった点は本当に恐ろしく美しい暗合だ。時の女神は、まるで気まぐれに物証を投げてくる。これまでリチャードについてああだこうだと論争していた文献史家は沈黙して調査結果を待つよりない。それまでは緻密で隙のない論理的帰結だった仮説が、あっという間に瓦解する事もあるだろう。

ただそれにしても、何の仮説も組み立てず神頼みでは詰まらないので、歴史好きは今日も資料を漁り稗史を練るのだ。何かの弾みで出てきた遺物・遺構によって自分が調べたことが全く無駄になるのだとしても。功利主義者から見れば正気の沙汰とは思えないけれども。

ちなみに、英国の古い俚諺は「Truth is the daughter of time」のみで、「not of authority」とつけたのはフランシス・ベーコンなのだが、これについては少しばかり面白い巡り会わせがある。チューダー朝の意を受けリチャード三世を怪物に仕立て上げたシェイクスピアと、フランシス・ベーコンは同一人物という説があるのだ。同じ人物でなかったとしても、少なくとも同時代・同じロンドンにいた2人から、正反対の文章が出てくるのは大変興味深い。

1485(文明17)年の日本はといえば、応仁の大乱から徐々に戦国へと時代が大きく転換し始めた頃だ。1456(康正2)年生まれの伊勢宗瑞が29歳。大規模な土一揆に沸き上がる京都で足利義尚の申次衆として活躍していた年である。宗瑞の姉は既に未亡人となっており、一人息子の龍王丸(氏親)は元服を目前に控える14歳で今川家家督は一族の範満が務めていた。

シェイクスピアが作ったイメージからすると気づきにくいが、リチャード三世は19歳で初陣、32歳で戦死という早熟な面を持っている。日本で言うと北畠顕家(17歳初陣、21歳戦死)、佐野宗綱(14歳初陣、25歳戦死)が近いかも知れない。