カテゴリー : 2011年 7月

雉も鳴かずば……

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2005(平成17)年7月23日に発生した千葉県北西部地震の少し前、13時30分頃より立川市内の空き地(国有地)で雉が異様な鳴き方を始めた。

そこはフェンスで囲われていて、その前年から雄の雉が早朝よく鳴いていた。だが、その時は鶏に近いような声を頻繁に繰り返し、何事かと集まった5人前後の人間にも臆することなく鳴き続けた。私は箱根育ちで雉はよく見ていたが、それなりに用心深い鳥でこういう行動を見たことがない。間抜けな遭遇で大慌てしたり、人間は気づいているのに雉が気づかずにいたりは稀にあった。しかし人間との距離2メートル以内で鳴き続けるのは異常に見えた(最初に来たという人に聞いたところ、人が来る前から鳴き出してわざわざ通りのそばまで出てきていたという)。

上の画像がその時のもの。フェンスの網目にカメラのレンズを押し付けて撮影している。雉は15分ほどすると、のそのそと茂みに戻っていった。

この3時間後の16時35分に、地震が来た。立川市は震度3だったが、足立区では震度5強となった。ちなみに、都内最大の活断層である立川断層はここから800メートルぐらいの位置。

この手の話は「友達の友達……」というパターンが多いが、自分で直接見聞したことなので記事にしておこうと考えた。2011年3月11日のことを思い出してみるが、この頃は既に雉の鳴き声も聞こえなくなっていた。3時間前というパターンが同じであれば、11~12時頃に雉がどこかで鳴いていたのかも知れない。

※2011年7月15日、この空き地のそばで雌か幼鳥と思われる個体が目撃されている。ここ数年見かけなかっただけに、この情報に安堵した。

我らが共通の友 (上)

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ディケンズの小説はどの作品も我が家のように寛げる空間だ。ページをめくると馴染みの顔ぶれがいつも迎えてくれる。世情が騒がしい昨今、どうしても読みたくなって気に入りの3作品からこれを選んだ。

ディケンズが完結させた長編としてはこの『Our mutual friend』が最後になる(『エドウィン・ドルードの謎』は未完のため)。最初の長編『ピクウィック』ではまだ異物として扱われていたブルジョワジーだが、その台頭は最早既成事実となっていて、物語では彼らが多数活躍する。モチーフは拝金主義の否定。そしてもう1つは仮死と蘇生による価値観の再生だ。

テムズ川のボートに乗る父と娘を描くスピーディな描写で物語は始まる。このオープニングは極めて近代的に感じる。説明的な文章も入りつつも、基本的には登場人物の動作や表情によって内面を伝えてくる。初期の作品は中世的な間延びを見せていたのだから、最末期に至るまで文体を模索していたディケンズの凄みが判る。

小説のメタファーは上で上げた川(再生の場)で、折々で登場する。川で生活していた娘のリジー・ヘクサムは、ある事情から川を離れる。そこに待っていたのは川とは違う開けた人間関係だった。友もいれば敵もいる雑多な環境にいきなり放り込まれたと思うのだが、ここはさほど深く描かれていない。それよりも、リジーによって怠惰な人生から目覚めかけているユージン・レイバーンへの説明の方が多い。

前回読んだ時よりも印象に残ったのが、障害を持った少女ジェニーの奇妙な歌。リジーと一緒にいたロンドンの狭い屋上空間。ここを天国になぞらえ、階下に退散する小悪党に向かって「戻ってきて、死になさいね」と繰り返し歌う。この小説のメタファーを考えると、作者に一番近い位置にいる代弁者は彼女かも知れない。

もう一つのメタファーである塵芥の山(拝金の場)の主人公も、本来のあるじジョン・ハーマンではなく、許婚のベラ・ウィルファーになっている。まあ普通に考えれば物語として奇矯なのだが、先ずはお手並み拝見。