カテゴリー : 2011年 8月

『西湘地域』という妄想


西湘。文字通り、西の湘南。

最近は小田原周辺を「西湘」地域と呼ぶ例が多いように見受ける。これは私が東京に出てからだから、1990年代からだと思う。「湘南」ブランドを想起させる名称が口当たりもよく、ベッドタウン・観光での誘致に使われるようだ。

でも、昔は地域名として使われることはなかった。この地域はあくまで足柄地方だった。

「西湘」という言葉の初例は市内酒匂地区にある県立西湘高校。1957(昭和32)年、近隣の酒匂中学敷地内にて創立している。他の使用例である西湘バイパスが1967(昭和42)年なので、それより10年早い。ではなぜ、「西湘」という名前が高校名に使われたのか。

小田原付近にある県立高校は殆どが地域名を冠している(小田原・足柄・大井・吉田島・湯河原・山北)。例外は城東・城北・城内で、小田原城を基準に方角を入れている。更に例外だったのが西湘である(小田原の私立高校が「旭丘」「相洋」だったことを考えると、私学なネーミングである)。元々は城東高校の普通科から派生したという話を聞いているが、建学時は女子高だったという。

『西+湘』という命名の由来は、校内では著名な話だった。私はここの出身だが、学年担当の教師から「西湘というのは、『西の湘南高校』を目指してつけられた名前だ。それをお前たちは(以下略)」と怒られるのはよくある話だった。その創設に当たって、旧県西学区で最も進学率の高い小田原高校、またはその上を行く隣接学区の平塚江南高校を目標に据えるのではなく、文武共に全国でトップレベルの湘南高校を目指したというのだから大言壮語も甚だしい。しかも女子高で、だ(その後は極端に男子を増員し、80年代には男子が70%以上を占めていた)。

一方の西湘バイパスについては、「湘南のドライブというイメージを小田原までつなげたい」という希望があったように思う。その際に、10年経って人口に膾炙されてきた『西湘』が用いられたのではないか。従来は箱根・熱海の東、東京からの通過点に過ぎなかったこの地域を「西の湘南でもあるんですよ」とアピールする狙いが窺える。

ということで、私が在学した1980年代半ばだと「西湘」といえば高校かバイパスだった。地域名ではないし、一般的には「湘南は湘南で小田原とは別」という前提があった。平塚でさえ遠いのに、そのまた先の江ノ島の辺りが湘南だと考えていたから。

ところがその後で、『湘南』ナンバー問題が勃発する。これは小田原に住んでいた友人に聞いた話だが、自動車の『相模』ナンバーが飽和となり、『足柄』『湘南』の両ナンバーが検討された辺りから妙な話になってきたらしい。

当初小田原を含む足柄上・下郡は『足柄』ナンバー、茅ヶ崎・藤沢が『湘南ナンバー』。残りはそのまま『相模』ナンバーの予定だった。ところが、平塚をどうするかで揉めたそうだ。平塚は自身が湘南地域であることを喧伝しており、地元に所属するプロサッカーチームにも湘南を冠している。紆余曲折あったものの、まあ平塚までは湘南としようと決まった。ところが今度は伊勢原や二宮、大磯が騒ぎ出した上、明らかに関係がない小田原までが「平塚が湘南なら自分たちも湘南だ」と主張し始めた。

結局小田原も湘南ナンバーにはなるのだが、それにつられて足柄の郡部と南足柄市も『足柄』ナンバーではなく『湘南』ナンバーになるという奇妙な状況が出現した。そもそも『相模の南の水辺』という意味合いで中国から移入された言葉が『湘南』なのに、海もなく南でもない、山北や箱根までが『湘南』ナンバーとなっている。このことを東京で指摘される際、必死に湘南になりたがっているように思えて私は気恥ずかしさを覚える。小田原周辺では気にしていないのだろうか……。

話は少し逸れたが、この『湘南』ナンバー騒動は『西湘』地域自称につながってくる。『足柄』地方であることを恥じ、『湘南』イメージのお零れをもらおうというものだ。このまま行けば、足柄平野を西湘平野に、酒匂川を西湘川にするかも知れない。足柄には味わい深い地名が多数あるのに、もったいないことである。

言わずもがなではあるが、過去の小田原町は箱根・湯河原・真鶴とともに足柄下郡であった。上郡は南足柄市・中井・大井・松田・山北・開成となる。これらの地域は近世小田原藩とほぼ同一であり、明治の最初期には伊豆国と合わせて足柄県を構成していた。室町・戦国期には一時的に西郡と呼ばれていたものの、その前はやはり足柄郡である。

『湘南の西』という東京視点に踊らされ、『足柄』という独自の地域名を忌避する姿は浅ましい。かつては南関東の中心地だった誇りはもはや感じられない。そして、そのような軽薄な姿勢では、歴史的資産を観光資源にする資格はないように思う。

端的な例を挙げるなら、現在の小田原駅前にある北条氏政・氏照の墓所に『幸せの鈴』が安直さを象徴している。墓所に願掛けをして鈴を結び、成就したらまた鈴を結びに来させるもので、ジャラジャラぶら下げる辺りは平塚市が『湘南平』とネーミングした高麗山の『ハート・ロック』を真似たように見える。

後北条歴代で最もリアリストであった氏政に『幸せの鈴』を宛がうとは……元々後北条氏には冷淡な小田原にしても、これはひどい扱いではなかろうか。看板には史料の裏づけでもあるかのように次の記述がある。

ここに眠る北条氏政、氏照は、長引く秀吉との攻防戦の中、戦禍にまみえる領民を思い、開城を決意されたと伝えられています。

何がどう『伝えられた』のだろうか。史料上、開城を決意したのは氏直だし、「伊達も離れたし八王子・韮山も落ちてやっぱり勝てなそうだから」というのが理由だと思われる。氏政・氏照にしたって領民のために小田原合戦を起こした訳ではない。後北条氏は「御国のために徴兵に応じろ」という理屈を使っていたが、その御国は国民国家ではなくあくまで後北条家を指す。暴力団のショバ代のようなものだ。そもそも、徴兵されなければ巻き込まれる筈もない百姓を大量動員したのは氏政・氏照なのだから「戦禍にまみえる領民を思」う筈もない。そこを強引に平和の象徴とするなら、きちんと根拠を示さねばならない。

そのような努力を怠り、単純に史跡を観光資源として利用する。また古来より名を馳せた『足柄』の地域名を捨て軽佻浮薄な『西湘』と名乗る。それが小田原の経済的な発展を期すための唯一の方法で苦渋の決断、というものなら致し方ない。が、それにしても少し節操がなさ過ぎないだろうか。

我らが共通の友(中)


ロジャー・ライダーフッドという悪役が登場する。この人物は最初の章から完全な小悪党として出てきているが、何とも捕らえどころないキャラクターに思える。物語が始まる前に彼は収監されている。どうも強盗殺人をしたらしい、という設定だが、本人が頑強に否定するため服役したにも関わらず「らしい」が消えない印象になっている。

この男が本当にそこまでの悪人なのかという疑問は、話が進展するにつれて強まる。やっていることは密告や窃盗といったレベル。自分を真面目な人間だと韜晦する定型的な台詞回しからしても、どことなくユーモラスにすら描かれる。ブラッドストンのような近代的殺人者と比べると、どうしても狂言回しの中世的悪党に見えてくる。

だが、ライダーフッドのような悪人こそが極めて現代的な悪人だという定義も可能である。

  1. 自分で自分に暗示をかけている
  2. 1であることを薄々判って利用している
  3. 弱者から金をたかり、仲間の信義を売っても良心が痛まない
 3については少々複雑なシステムが使われているように思う。1の自己暗示でライダーフッドは「自分はとにかく虐げられている。この程度の権利はある」という鬱憤を用いており、退嬰的な自己肯定の基本部分にしている。21世紀の現代日本でいうところの「(自分に合わせてくれない)社会が悪い」がそれに近い。
 全てを他者のせいにして自分は飄々としている、という点でライダーフッドは救いようのない悪人だと描いているのかも知れない。実際、死と再生がテーマの本作で、蘇生しながら人格が変われなかったのはライダーフッドのみである。