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通説では、今川義元の討死に伴って多数の戦死者が出て今川氏権力が弱体化したとされる。但し、以下の点から甚大な損害とは言い難いようにも思う。
そこで、今川氏が義元の死で人的資源をどの程度失ったかを改めて調べてみた。戦国遺文今川氏編より、主だった人物を抽出。永禄3年6月以降に登場しなくなった人物は死亡と見なした。
24%という数値が高いか低いかは、他の例と比較しないと判らない。今川義忠の討死が近いかも知れないが、史料が足りない。後北条でいうと三船台・蒲原が決定的敗戦だが、当主の討死は伴っていない。
三河が平均の半分程度となる。これにより人的資源の不均衡が生じ、三河国衆を駿遠の国衆が抑制できなくなったのかも知れない。