今川義元討死直後の文書
三者三様の対応だが、元康書状写は年比定に注意が必要。
去十九日、於尾州口不慮之御仕合、無是非次第候、然者左衛門佐殿、無比類御動、被思食御感候、就其被成御書候、此上之儀、御城之段、御油断有間敷候。尚以左衛門佐御事、日下者不聞得候、今度之儀者、真是非無申事候。爰元之儀、涯分無油断被仰付候、可被心安候、境内之儀人質など事被仰付候者、御内儀可有之申候、恐々謹言、
五月廿二日/三浦内匠助正俊(花押影)/松井山城守殿参御宿所
戦国遺文今川氏編1537「三浦正俊書状写」(土佐国蠧簡集残編六)
今度依忠節、約束之旨可令扶助、在所之儀者、従年寄共可申届者也、仍如件、
五月廿二日/元康(御判形)/浅井六之助とのへ
戦国遺文今川氏編1538「松平元康判物写」(諸牒余録後編巻二九)
今度不慮之儀出来、無是非候、然者当城之儀、堅固申付之由喜悦候、軈而可出馬候、猶三浦内匠助可申候、謹言、
五月廿五日/氏真(花押)/天野安芸守殿
戦国遺文今川氏編1539「今川氏真書状」(天野文書)