『王代記』永禄年間のみ抜粋

2017/04/26古記録鳴海原

『王代記』山梨県窪八幡宮の別当上之坊普賢寺の旧蔵。『武田史料集』より永禄年間の記述だけを抜粋。

戊午 永禄元 善光寺如来九月廿五日甲府付玉フ。板垣十月三日地引始。
己未 二 新善光寺板垣立。入仏二月十六日。
庚申 三 八幡牟クウ神會皮葺。二月十八日本願宝林坊。駿河之義元尾張成実ニテウチ死。六月十九日。
辛酉 四
壬戌 五 ■八幡御門會皮葺。七月廿九日本願宝林坊、「永禄五壬戌十月三日高野山大塔ノ大日ノ■指血垂ル。同年十月十八日当社大杉ノ北ノ杉ヨリスゝ色ノ水流ル。次年正月一日上坊土蔵ヨリ火出焼亡。」
癸亥 六 東寺塔焼、四月二日、雷火。善光寺横棟杵立四月四日、本願寺五味庄運。武田之晴信武州松山落居。善光寺棟上三月廿二日。
甲子 七
乙丑 八 善光寺入仏三月廿七日。万部十一日始ル。八幡ノ鐘籠同鳥居檜皮葺、宝林。
十月三日ニ大霜降。
丙寅 九 寅年天下渇水。人民死ス。
丁卯 十 奈良東大寺十月十日ヨリ十三日マデ焼亡。大仏殿ノ内ニ三吉ノ人数籠、松長弾正押寄、彼大仏ニ火ヲ付ノ間悉焼畢。
戊辰 十一 武田信玄様十一月三日駿州江御馬出ル。同十三日府中迄押寄、悉ク放火被成、氏真ハ遠州懸河へ落去。御馬巳年四月廿八日ニ皈申也。