2019/03/07(木)史料集による出典表記の違い
伊勢宗瑞の2文書について、収録した史料集ごとに出典表記を調べてみた。
対象文書
A)巨海越中守宛の伊勢宗瑞書状(全史料集が永正3年に比定)
今度氏親御供申、参州罷越候処、種ゝ御懇切、上意共忝令存候、然而、氏親被得御本意候、至于我等式令満足候、此等之儀可申上候処、遮而御書、誠辱令存候、如斯趣、猶巨海越中守方披露可被申候由、可預御披露候、恐惶頓首謹言、
閏十一月七日/宗瑞(花押)/巨海越中守殿
※愛10のみが「写し」とし、検討を要すると指摘。
B)伊達蔵人佑宛の伊勢宗瑞書状(全史料集が永正5年に比定)
今度於参州十月十九日合戦、当手小勢ニ候処、預御合力候、祝着ニ候、御粉骨無比類之段、屋形様江申入候、猶自朝比奈弥三郎方可有伝聞候、恐々謹言、
十一月十一日/宗瑞(花押)/謹上伊達蔵人佑殿
※神3下・戦北は「祝着候」が「祝着ニ候」と翻刻。
史料の出典表記
神奈川県史資料編3下(1979年)
6468「宗瑞[伊勢長氏]書状」(徳川義知氏所蔵文書)
6471「宗瑞[伊勢長氏]書状」(美作伊達文書)
戦国遺文後北条氏編(1989年)
17「伊勢宗瑞書状」(徳川義知所蔵文書)
19「伊勢宗瑞書状」(美作伊達文書)
小田原市史資料編小田原北条(1991年)
16「伊勢宗瑞書状」(徳川義知氏所蔵文書)
18「伊勢宗瑞書状(切紙)」(京都府京都市・京都大学文学部所蔵駿河伊達文書)
愛知県史資料編10(2009年)
701「伊勢宗瑞書状写」(徳川美術館所蔵文書)
722「伊勢宗瑞書状」(駿河伊達家文書)
戦国遺文今川氏編(2010年)
187「伊勢盛時書状」(徳川黎明会所蔵文書)
220「伊勢盛時書状」(京都大学総合博物館所蔵駿河伊達文書)
気づいた点
A文書
- 1991~2009年の間にA文書が個人蔵から法人蔵になった。
- A文書を愛知県史が「写し・要検討」と変更した後、戦今では戻している。
- A文書の文言は異例であり、写しであるなら愛知県史の要検討判断は妥当。
B文書
- 神3下・戦北で「美作伊達」の文書としている。
- その後の小市史以降では「駿河伊達」の文書とされる。