2017/05/17(水)戦国時代に兵種別編成はあったのか? その2

後北条氏はかなり細かい着到定を出しているが、これをどう確認したのかは気になるところ。ただ、大藤式部丞に出した朱印状では、誰が何人不足したのかを逐一書いている。

一、今度甲州衆越山儀定上、当月中必可被遂対談、然者人数之事、随分ニ壱騎壱人成共可召寄、并鑓・小旗・馬鎧等致寄麗、此時一廉可嗜事
一、本着到、百九十三人也、此度四十四人不足、大藤
本着到、七十四人也、此度三十五人不足、富嶋
本着到、五十四也、此度二十八人不足、大谷
本着到、八十壱人也、此度三十一人不足、多米
本着到、六十人也、此度廿二人不足、荒川
本着到、卅人也、此度七人不足、磯
本着到、廿二人也、此度無不足、山田
本着到不足之処、如何様ニも在郷被官迄駆集、着到之首尾可合事、一備之内ニ、不着甲頭を裏武者、相似雑人、一向見苦候、向後者、馬上・歩者共、皮笠にても可為着事、
右、他国之軍勢参会、誠邂逅之儀候、及心程者、各可尽綺羅事、可為肝要者也、仍如件、
十月十一日/(虎朱印)/大藤式部丞殿・諸足軽
小田原市史小田原北条0504「北条家朱印状」(小田原市立図書館所蔵桐生文書)

ここで、岩付諸奉行がしつこく「兵種ごとに集めてから着到を確認しろ」と規定していたのが思い当たる。着到状は被官ごとに人数や装備が規定されている。単純に考えれば、被官ごとに点検すればよい。しかし、各被官の立場になってみれば「点検時だけ他の被官から人を借りてくればいい」というすり抜けが可能になる。

これを避けるためには、小旗・鑓・弓・鉄炮などの装備ごとに集合させて出欠・装備点検をすればよい。装備を持たない歩者が「一枚に(整列して)確認しろ」とされているのも、この二重カウントを阻止するためだったと考えるべきだろうと思う。