2017/05/11(木)仮説の導き方
自己流だけど、史料を読む際の段取りを挙げてみる。全ての読み込みでこの手順を徹底している訳ではないけど、主要な解釈ではなるべくカバーするよう心掛けている。
他に要素がありそうな気もするけど、とりあえず。後で足すかも。
留意点
- 同時代史料のみを使う(発生から20年前後)
- 古記録より古文書を優先
- 人名・地名の比定を他史料で確認
- 後世編著と専門家解釈はあくまで参考例
- 結論ありきの推論にしない→証明不能でもよい
手順
- 前後1年以上の流れ、もしくは関係者の動きを史料で細かく見る
- 類似した例がないかを調べる
- 収集した史料の原文と解釈文をデータ入力
- 一旦ストーリーを組み立て仮説にする
- 確定できる点と曖昧な点、仮説にそぐわない点を整理
- 「自分の仮説は成り立たない」という前提で反論者として考え直す
- 文章として構成する
2017/05/01(月)鉄炮衆の入れ替えで銃器は入れ替えないことがあった
小山秀綱が岩上筑前守に宛てた書状(元亀3年比定)の中で、鉄炮衆の番替に当たり、鉄炮そのものは差し替えずに人と玉薬だけを入れ替えるよう指示している。鉄炮を入れ替えるのは難しいためだと説明している。一方で3名は銃を持ち帰らせている。これは彦五郎・小曽戸から来た増援だったかららしい。
「(鉄炮)筒を入れ替えるのは難しい」としている点、増援の3名は銃を持ち帰らせたことから推測すると、鉄炮を一旦手放してしまうと、入れ替えの者が持ってこなくなるため困難だったのだろう。但しそれは他の家の鉄炮を借りた場合には通用しないため、増援3名には必ず鉄炮を持ち帰らせることをむしろ念押ししている。
夜前に到着したのか心元なかったので、折り入って飛脚でお尋ねしました。何れにせよ移動のご苦労があっただろうと、お伝えしたく思います。
一、栗橋の手成はきっとあの地へ伝わるでしょう。太田資正に報告するのがもっともです。
一、当真より昨日づけの一書を今朝巳刻に見ました。思った通りなので、容赦なく、あの書状の写しと返書の草案を八郎殿へお見せになりますように。
一、義重が川井甲斐守を昨日の暮れから当城へお届けになりました。現在在滞していて、佐竹・宇都宮は備えも半ばで遅々としており、悔しいという詫び言を遂げるまでのことです。
一、鉄炮衆の番替は明晩行ないます。銃身を交換するのも難しいので、そのまま10挺を玉薬だけ厳重に差し置かれるだろうとのこと。必ず10人の者どもに通達してご準備なさいますように。残りの3挺は、彦五郎家臣の粟宮と、小曽戸のかせ者ですから、銃身は持ち帰らせるまでです。この番替は小薬の鉄炮衆は3人が3挺でと指示しています。玉薬そのほかは厳密に彦左衛門・五郎右衛門へ渡してお返しになりますこと、こちらもご失念のないようにご指示下さい。
一、昨日、備え場にあなたが同道し、両人が尤もであること、言葉を加えました。荒豊一人だけがしかるべきです。そのほかは陣屋に日数を経て滞在しているため、勝手をしないように、しっかりと堅く申されますように。第一に、大酒・火事・無政道など、かれこれを初めとして、書付の通りに処置なさることが大切です。
夜前被罷着様体無心元候間、態以脚力相尋候、何も路次中辛労之由申遣度候、一、栗橋之手成定而其地へ可聞候、濃ニ注進尤候、一、自当真昨日付之一書今朝巳刻披見、存分候間、不被致用捨、彼一札写并返書之案文八郎殿へ可被為見申候、一、義重以川井甲斐守昨暮当城へ被届旨候、于今在滞、佐・宮半途之備遅々、口惜由遂侘言迄候、一、鉄炮衆番替明晩可指越候、つゝ引かへ候も六ヶ敷候間、其侭十丁をハ玉薬ニ厳密ニ可差置由、必々十人之者共之方へ被申調可然候、相残三ちやうハ、彦五郎方家風粟宮・小曽戸かせ者ニ候間、筒をも持可帰迄候、此番替ハ小薬之鉄鋒衆三人三丁申付候、玉薬其外厳密ニ彦左衛門・五郎右衛門ニ相渡可罷帰由、是又無失念可被申付候、一、昨於備場其方同道、両人尤之由加詞候キ、荒豊一人計可然候、其外をハしかと陣屋ニ日数之間、不致随意有之様、堅可被申候、第一大酒・火事・無政道、彼是を始、書付之透仕置専一候、謹言、
十二月六日/孝哲(花押影)/岩上筑前守殿
埼玉県史料叢書12_0419「小山孝哲書状写」(松羅館集古八)