2018/02/22(木)家康へのキレ方が氏直・秀吉で似ていた件
僅か9日の間に、敵味方の当主から同じような論調の文句を言われている徳川家康。
北条氏直「上洛が遅れたとかいうけど、12月でも1月でも2月でもいいじゃないか」
羽柴秀吉「3月1日の出馬が遅いって、じゃあ2月1日でいいよ。急げというなら1月1日にするか?」
北条氏直が羽柴秀吉への取り成しを依頼する
翻刻
従京都之御書付給候、并御添状具披見、内ゝ遂一雖可及貴答、還相似慮外候歟之間、先令閉口候、畢竟自最前之旨趣、貴老淵底御存之前、委細被仰候者、可為本懐候、猶罪之被糾実否候様所希候事、一両日以前以使申候キ、津田・冨田方へ申遣五ヶ条入御披見上、重説雖如何候、猶申候、名胡桃努自当方不乗取候、中山書付進之候キ、御糾明候者、可聞召届事、一、上洛遅延之由、被露御状候、無曲存候、当月之儀、正、二月にも相移候者尤候歟、依惑説、妙音・一鴎相招、可晴胸中由存候処、去月廿余日之御腹立之御書付、誠驚入候、可有御勘弁事、右之趣、御取成所仰候、恐々謹言、
十二月九日/氏直(花押)/徳川殿
- 小田原市史小田原北条1986「北条氏直書状写」(古証文五)
解釈
京都よりの書付をいただきました。合わせてお添えいただいた書状も拝見しました。内々で逐一お答えいただいていますが、繰り返し「慮外ではないか」とのこと、まずは閉口しております。
結局、以前からの趣旨は貴老も隅々までご存知でしょう。詳細を仰せいただければ本懐に思います。そして罪の実否をお調べいただけることを強く願います。一両日前に使者を送って申しましたが、津田・冨田方へお送りした5ヶ条をお読みいただいた上で、重ねての説明もどうかとは思いますが、更に申します。
名胡桃は当方が乗っ取ったものではゆめゆめありません。中山書付を進上しましたから、お調べいただければお聞き召しいただけると思います。
一、上洛遅延とのこと、御状に書かれていますが、つまらぬことです。当月のことは、1月、2月にも移せばよいことではありませんか。惑説があったので、妙音院・一鴎件を招き胸中を晴らそうと考えていたところ、先月20何日かのご立腹の書付があり、驚いています。よくお考えいただけますでしょうか。
右の趣旨でお取り成しをいただきたく。
羽柴秀吉が3月1日の出馬を通告し、国境警備・兵粮準備を依頼する
翻刻
芳札披見候、誠今度者早々依帰国、残多覚候、仍関東堺目無異義旨尤候、今少之間ニ候、弥無油断可被入精候、就其北条懇望之由、如書中何共申候へ、京都ハ御赦免之不沙汰、不及言舌儀候、自然号御侘言書状等持参者候者、可被為生涯候、随而御出馬相延候程可然旨、異見無余義候、然者三月朔日を二月一日ニ可被成候哉、急候て可然との事候者、正月一日も可有御動座候、其外御延引者一切不可成候、惣別於駿遠御越年程ニ雖被思召候、諸卒用意如何与、三月朔日之御出馬ニ被相究候、次兵粮米調之儀、成次第可有馳走候、自此方過分ニ被為悉候条、被闕御事候事、不可在之候間、可御心安候、猶浅野弾正少弼可申候、穴賢、
極月廿八日/秀吉(花押影)/駿河大納言■■
- 豊臣秀吉文書集2873「羽柴秀吉書状写」(二条文庫)
解釈
ご書状拝見しました。本当に今度は早々の帰国となり、心残りが多くあります。
さて関東境目に変わりがないのはよいことです。今少しの間です。ご油断なく、ますます精を入れられますように。それについて北条が懇願しているとのこと、ご書状の中にもあったように、何を言おうと京都ご赦免がないことは言辞に及びません。万が一、お詫び状などを持ってきたなら、その者を殺して下さい。
そしてご出馬を然るべく延期する件、この意見は余儀のないものです。(以下は、先行する家康書状は出陣を急かす内容だったと思われ、その返答になっている)では、3月1日を2月1日にすればよいのでしょうか。急ぐのが良いなら1月1日でもご動座があるでしょう。そのほかのご延引は一切ありません。総じて、駿河・遠江において年越しなさるお積りだとしても、諸卒の用意はどうなるでしょうと、3月1日のご出馬にお決めになりました。
次に兵粮米を調達する件ですが、可能な限りでご用意下さい。こちらからは余分に準備しますから、不足することはありません。なんでご安心下さい。
更に浅野弾正少弼が申します。