2018/11/22(木)戦国期の「取出」の使われ方
「取出=とりで」
戦闘用の拠点で城よりも軽微なものを「とりで=砦」と呼称するのが一般的だと思うが、戦国期の史料を見ていくと「砦」の字は使われていない。「取り出す」という動詞と同じ字を書く「取出」が専ら用いられている。
この用法を、手元にある史料から分類してみた。
その用例
「取出」は46例がある。このうち、動詞「取り出す」と考えられるのは多く見積もって6例。厳密に考えると3例しかない。
名詞としての形態を細別すると、他の名詞と結合して使われるのが最も多い。結合する名詞は、固有名詞がやや多い。「取出を~する」という、「取出」単体に動詞が接続したものは、構築と守備が一体となったような文脈で用いられ、城を攻める簡易拠点という色合いが強い。
名詞と連なって1語を成す 23
固有名詞に連結 13
- 医王山取出割
- 田原取出城
- 在于大野取出昼夜相働条
- 於嶋田取出城
- 今度大野取出之儀、就申付
- 市野取出江乗入端城押破時
- 井口近所取出城所々申付候
- 至信州堺目、御取出可被仰付旨候
- 大野之御取出ニおゐて走廻候
- 然而多賀谷取出之義、以絵図承候
- 大河取出江相働
- 今度金屋取出之刻、敵相動
- 上州沼田之城取出、窪田之城責候時
一般名詞に連結 10
- 取出普請出来之上
- 当社中陣取并取出事
- 殊敵取出江節々被懸被及一戦之段
- 取出之儀申上候
- 甲州之是非与覚悟候間、只今取出なと之儀者、一切不覚悟候
- 去三日沼田東谷押替候、取出以不慮之行、打散悉放火
- 其以前尾州境取出之儀、申付人数差遣候
- 但只今取出城等、如此中可相拘
- たゝ居城之取出を丈夫に構
- 至其表出馬、取出等今二三ヶ所丈夫可申付候
名詞として、動詞に接続する 17
「致」に接続 4
- 然者向房総取出被致之、春以来彼口被押詰候条、両国本意不可有程候
- 鱸兵庫助小渡依致取出、為普請合力岩村衆并広瀬右衛門大夫令出陣
- 今度東條津平仁致取出
- 今度戸田主水助別心、松平蔵人相動、所々致取出之処、被官人稲垣平右衛門尉馳走之由、喜悦候
「築」に接続 4
- 向懸川取出之地二ケ所被築
- 此節懸川近辺ニ弥被築取出之地利
- 因茲向于懸川数ヶ所築取出之地候故
- 就之自厩橋向于河西、築取出之由候、然則無二出馬、遂一戦
「仕」に接続 2
- 当城取懸、城中不成候者取出重而仕、麦を可苅取之由候
- 今度其方在所役引入、一身以覚悟取出罷仕候間
「出来」に接続 1
- 向深谷・羽生之取出出来之由肝要候
「成」に接続 6
- 今度於小牧取出被成候儀、祝着候
- 向寺部可<成>取出之旨領掌訖(<成>を脱落と見なす。理由は後述)
- 既以自面兵粮其外過分失墜成取出之条
- 今度<成>取出為粉骨之条(<成>を脱落と見なす。理由は後述)
- 今度成取出走廻之間
- 殊今度之<成>取出(<成>を脱落と見なす。理由は後述)
動詞として扱われた例 6
動詞確定 3
- 然而為後巻、越前・浅井衆都合三万ニ可及候歟、去月廿八日巳時取出候、当手人数同刻備合、遂一戦両口共切崩、得大利候
- 仍其面敵取出候処ニ、即時覃一戦
- 人馬之糞水、毎日城外へ取出
動詞の可能性が高い 3
- 曲輪も又被為取出
- 毎日雖動懸儀大切所、更不取出候条、輝虎改陣所
- 其後宇都名へ取出
今川義元判物写に見る「とりで=取出」の用法
今川義元は、実に5箇所も「取出」が出てくる文書を残している。この例は一見難解なので、解釈手順を書き出してみようと思う。
原文
(A)一、向寺部可取出之旨領掌訖、然者寺部城領半分令扶助間、山林野河共半分内者可令支配之、縦敵味方内雖有買得之地、不可及其沙汰事
一、来年末三月中迄彼城無落居相支、其上以惣人数雖攻落之、(B)既以自面兵粮其外過分失墜成取出之条、寺部分限員数内参ヶ壱可令扶助之、但三月以後茂長能以計策彼城就令落居者、右ニ如相定半分儀不可有相違事
一、広瀬領償之儀一円可申付、但年来伊保梅坪表江令扶助分者可除之、雖然今度寺部逆心之刻、改申付償之事者、一円長能可相計之事
一、鱸日向守并親類被官不可及赦免、伯彼者以忠節知行就令還附者、(C)今度取出為粉骨之条、其褒美之儀者一廉可申付
一、於野田郷令扶助弐百五十貫文之分、雖有参州惣次之引、(D)今度成取出走廻之間、不準間余不可有其引事
右、吉田并田原以来前々走廻、(E)殊今度之取出、以一身覚悟、矢楯兵粮以下迄自面之失墜令奉公之条、甚為忠節之間、相定条々不可有相違、本知新知共自然可有増分之旨有訴人就申出者、為先訴人相改可所務、然者寺部知行案堵之上、相止番手如年来之以自力可在城于岡崎之旨、神妙之至也、此旨永不可在相違之状如件、
弘治四戊午二月廿六日/治部大輔判/匂坂六右衛門尉殿
- 戦国遺文今川氏編1383「今川義元判物写」(大阪府立中之島図書館所蔵今川一族向坂家譜)
「成」の脱落を推測
原文のままで読むとAは明らかに動詞、CとDも動詞に近いように見える。しかし、この文章での「取出」が、匂坂長能による寺部城攻めの拠点構築で一貫していることから、BとDで使われている「成」が脱落した、もしくは省略されたものと考えた方が文の通りがよい。このことから、下記5例は「成+取出」と解釈した。
- A:向寺部可<成>取出之旨領掌訖
- B:既以自面兵粮其外過分失墜成取出之条
- C:今度<成>取出為粉骨之条
- D:今度成取出走廻之間
- E:殊今度之<成>取出
読み下し
太字となっている「取出」記述部分は「成」の脱落を想定せずに強引に読んでいる。どうしても不自然な文面になることが判る。
一、寺部に向かい取り出すべくの旨領掌しおわんぬ、しかれば寺部城領の半分扶助せしめあいだ、山林・野・河とも半分の内はこれを支配せしむべし、たとえ敵・味方の内に買得の地があるといえども、その沙汰事に及ぶべからず。
一、来年末、三月中までにかの城落居なくあい支え、その上で惣人数をもってこれを攻め落とすといえども、すでに自面の兵粮・そのほか過分の失墜をもって取出を成すの条、寺部分限の員数のうち参ヶ壱、これを扶助せしむべし、ただし三月以後も長能が計策をもってかの城を落居せしむについては、右にあい定めしごとく半分儀は相違あるべからざること。
一、広瀬領償いの儀、一円申しつくべし、ただし、年来、伊保・梅坪おもてへ扶助せしむる分はこれを除くべし、しかりといえども、今度、寺部が逆心のきざみ、改めて申しつけし償のことは、一円、長能あい計るべきのこと。
一、鱸日向守ならびに親類・被官は赦免におよぶべからず、ただしかの者が忠節をもって知行を還附せしむるについては、今度取出、粉骨を為すの条、その褒美の儀は一廉に申しつくべし。
一、野田郷において扶助せしむる弐百五十貫文の分、参州惣次の引きがあるといえども、今度、取出を成し走り廻りのあいだ、自余に準ぜず、その引きあるべからざること。
右、吉田ならびに田原以来、前々の走り廻り、ことに今度の取出、一身の覚悟をもって、矢・楯・兵粮以下まで自面の失墜、奉公せしむるの条、はなはだしき忠節をなすのあいだ、あい定めし条々、相違あるべからず、本知・新知とも、自然、増分の旨あるべく、訴人ありての申し出しについては、まず訴人をなしあい改めて所務すべし、しかれば寺部の知行案堵の上、番手をあい止め、年来のごとく自力をもって岡崎に在城すべきの旨、神妙の至りなり、この旨、永く相違あるべからずの状、件のごとし、