2017/04/20(木)北条氏直が「沼田は落とした」と書いてしまった件
原豊前守は実名が胤長で、千葉邦胤の後見役。反後北条もいた千葉宗家で親後北条として指示に従っていたらしい。その胤長へ氏直が送った書状がまた勢い余っている(天正13年比定・戦北2855)。
原胤長はどうやら援軍要請を氏直に出したようなのだが「それどころじゃない」的な文面であれこれ書いている。沼田を攻め落として越後国境まで平定し終わったみたいに書いているが、実際には沼田城は落とせていない。誇大報告は戦国大名がよく出すけど、ちょっと盛り過ぎじゃないかなあ。
書面之趣一ゝ得心候、然者其地為仕置、疾雖可令出勢候
書状の趣旨は一つ一つ諒解した。だからそちらへの措置のため、早く出勢するべきだが、
遠州衆於信州真田与対陣、沼田表へ之手合頻ニ所望候間、令出馬
徳川が信濃で真田と対陣し、沼田方面へ援護攻撃するよう頻りに要望するので出馬した。
森下城不移時日責落、楯籠候敵数百人切掛
森下城は時間もかけずに攻め落として守備していた数百人を切り殺し、
其上向沼田城押詰陣取、越国境奥境迄、在ゝ所ゝ不残一宇、沼田庄打散、明隙候
その上で沼田城に向かって陣取り、越後国境の奥までの村は一軒残らず、沼田庄は打ち壊して手が空いた。
此上遠州衆へ立使候条、依彼返答、直ニ其表へ可令出馬候
この上で徳川へ使者を出したから、その返答によっては直接信濃へ出馬するだろう。
其半之仕置、何分ニも堅固ニ可被申付候
そちらの半手(?)の措置はどれも堅固に指示するように。
万乙無心元道理有之而、人衆所望ニ付者
万が一心もとないということで部隊要請があるならば、
出馬以前為加勢、一手も二手も可遣候
出馬する前に加勢として一手も二手も派遣する。
存分重而以糊付可被申越候、恐ゝ謹言
存分は重ねて糊付けの書状で送る。
猶以不及申候へ共、畢竟其方稼ニ相極候
更に、言うまでもないことだが、全てはあなたの活躍で決まることだ。
原文
書面之趣一ゝ得心候、然者其地為仕置、疾雖可令出勢候、遠州衆於信州真田与対陣、沼田表へ之手合頻ニ所望候間、令出馬、森下城不移時日責落、楯籠候敵数百人切掛、其上向沼田城押詰陣取、越国境奥境迄、在ゝ所ゝ不残一宇、沼田庄打散、明隙候、此上遠州衆へ立使候条、依彼返答、直ニ其表へ可令出馬候、其半之仕置、何分ニも堅固ニ可被申付候、万乙無心元道理有之而、人衆所望ニ付者、出馬以前為加勢、一手も二手も可遣候、存分重而以糊付可被申越候、恐ゝ謹言、猶以不及申候へ共、畢竟其方稼ニ相極候、
九月八日/氏直(花押)/原豊前守殿
戦国遺文後北条氏編2855「北条氏直書状」(東京国立博物館所蔵文書)
2017/04/20(木)山口重克の遺言フルテキスト
御書院番衆水野隼人正組として、大坂夏の陣で戦死した山口重克の長大な遺言書をデータ化。陣中の武士が持ち込んだ現金の話や、武家屋敷の様子が窺える。
甲子夜話 巻四十三「山口小平次消息」
去年か、林氏より古き消息とて示されしを、書櫃に寘て、再び見出したれば録す。
この文は、山口侯[常州牛久一万余石]の祖の弟、山口小平次と云るが、大阪勤番の間その妻に贈れる所と見ゆ。此人神祖の御時にして、文中に於て当時の風俗知るべきこと多し。又小平次の為人も見つべし。小系并時記書末に附す。
いんきよ様へひにゝゝ人をまいらせ、いかやうにも、御きにさはり候はぬやうに、ぶさた申すまじく候。さかなをもとゝのへ候て、しん上申すべし。いは山よりちやまいり候はゞ、いつものほどしん上申べし。のこるぶんは、はさみはこふたのうへにて、てをあらい、こまかにくだき候て、つぼにつめ、くちをはりをくべく候。そこもとにても、そろゝゝと、つかい申べし。一、よきびんぎに、ちやをひかせ、はこにつめ候て、こすべし。一、こどもそくさいにて候や。もしゝゝ、いもはしかなどいたし候はゞ、そうとくえなどへ、談合候て、おもてへいだしみせ申候て、よくゝゝやうじゃう申べし。一、おかめに人をひとりづつつけてをくべし。さかなをいつものごとく調させ、くはせ可申候。かりそめにもなかせ申まじく候。ねんをいれ、よくゝゝそだて申べし。一、よるひをともし申まじく候。よひからふし申べし。一、ひのもとやうじん、きづかい申べし。さうべつよろづゝゝきづかい申べし。ゆだん申まじく候。一、おごせへも、びんぎ候はゞ、さいゝゝ文をもまいらせ、かみのうちをもたつしべし。一、小ひやうは、月はんぶんづゝと申候へども、人もなく候はゞ、しかとつめてくれ候はれ候へと申し候て、つめさせ申べし。ねんごろにあいしらい、ちやをもたてゝやり候やうに、申べし。一、六だゆふどのかたのと、にしのかたのと、あけ申まじく候。おすへのくち、たてゝばかりをくべくし。かりそめにも、をんなをおもてへいだすまじく候。一、物ごとものぐさく、したにばかりゐ候ては、かげの事みへぬものにて候。すこしの事にもたちまはり、いかにもりこうにはからい申べし。一、さくらだより、さいゝゝびんぎあるべく候。きゝ候て文をこすべし。一、つぎ候て、ひとへにずきん一つぬい候てこさるべし。こぞのずきんは、ちいさく候。それよりちとひろくながくぬい候てよく候。あせのごいも、かみばこのうちにあるべし。こさるべし。一、そこもとのふるききる物、よろづかび候はぬやうに、ときはなし、さいゝゝほさせ候て、よろづてをきゆだん申すまじく候。こものどもきる物なども、あらはせ候てをくるべく候。一、どこにか、きんちやくに、ぜに五十文あるべく候。そこもとにてつかい申さるべし。一、物をかき、たしかなるわかとう候はゞ、一人も二人もおき候て、じん十どのをたのみて、はんとり候て、のぼせ申べし。こものもたしかなるもの候はゞ、二人もをかせ候て、こさるべし。一、しほやふとうなつねんぐ、きつく申候て、六月ぎりにとりきり候て、びんぎにのぼせ申さるべし。いかにもきつく申候はでは、すまし申まじく候。たひょうへかたへ申をき、きつく申させ候べし。一、此ほうめしつかい候ものども、みなゝゝ何事なく候。そのよし申きかせらるべし。一、なが屋のひのもと、よくさいゝゝ申しつけらるべし。一、ねこをめのまへにをかせ候て、よくめしみづをかはせ申さるべし。一、そこもとのやうす、くはしく一つがきにしてこさるべし。一、ゑのたね、をそく候とも、ふとうへこし候て、ちやうゑもんにまかせ候■■てこさるべし。一、うちそとのはたに、なをまかせ申さるべし。一、おもてのうへきに、ばんゝゝみづをうち候へと、たひやうへかたへ申さるべし。一、いんきよ様へのらくかのくちゞゝ、いつもぢやうをおろしをき候へと申さるべし。一、こども、二日に一どづゝ、ゆをあびせ、八日十日にいちどづゝかみをあらい、日にゝゝかみをゆい申さるべし。きたなきあそびさせ申すまじく候。以上。四月卅日
一、われらあひはて候はゞ、いんきよ様の事、われら娘とひとつに御ざ候はんとおほせ候はゞ、すこしもぶさたなく、むすめのなり候やうに、いたし候べし。御うへさまとひとつにとおほせ候はゞ、そのぶんにさせ申べし。ともかくも御ためによく、御すき次第にいたし候べし。一、ふたりのむすめ事、としたけ、よめいりごろになり候とも、いかなるよきものにてか■とも、まちにんのかたへ、なかゝゝやり申すまじく候。ほうこうにんも、かせぎのけしぢかなるすまゐなどのかたへ、なかゝゝやり申すまじく候。一、たれにてもたのみ、ひととめのてはんをとりて、おはりかいせかへのぼせ、おくふかきびくにでらのびくにになし候べし。さなくばいつこうぼうずのめごになし候べし。いつこうぼうずのゑんにつけ候はゞ、くはなに、いとうびぢやうどのと申人、みののかみどのゝうちしゆに御入候。この人をたのみ、にあはしきてらへこし候べし。びくにか、いつこうぼうずのかたへか、ふたいろがひといろに、かならずいたし候べし。さやうになく候はゞ、ふかくそのほうをうらみ申すべし。一、ふたりのむすめいとけなく候まゝ、たいぎながら、そもじもおはりまでつれてのぼり、みとゞけて給べし。みちすがらふじゆふにあるべく候まゝ、ごんへもんどのをみちのうちたのみ候て、つれだち申すし。次らすけもみちのうちつれ申べし。そのゝちはぬしかんにんしだいたるべし。一、よめ事はいとまをとらせ申べし。まんとさくは、とりにげにあひ候はぬやうに、よるひるきづかい候てめしつれ候べし。ふたりのむすめにとらせ候。一、そのほうの事、にあはしきかたへゑんにつき申べし。ふたりのこどものためにて候まゝ、かならずかならず、むりにもゑんにつき、そのたよりにて、こどもをはごくみ申すべし。おとこのしんしやうにもかまいなく、おとこにこゝろのたのもしきをゑらみ候て、ゑんにつき申べし。一、そこもとに御入候、こめ、きる物のたぐい、どうぐども、みなゝゝ、ふたりのむすめにとらせ候。二つにわけてふたりへわたし申べし。どうぐどもは、やすくもみなゝゝうり候て、かねにいたし候べし。一、むらさきのよるの物、むらさきぶとん、かめやじまのこそで、かね三れう、まきへのすゞりばこ、おかめに取らせ候。一、しろきよるの物、をりむしろ、あたらしきそめこそで、かね二れう、おいしにとらせ候。一、ふるきよるの物、きる物ども、かね一れう、十人まへのべんとう、そのほう■候べし。われゝゝがね、とりあつめ十七両あまり、しろがねもあるべく候へども、ぢんばへもたせ候は、さだめて、をちちり候てあるまじく候まゝ、かきしるし申さず候。まづゝゝ、此ふみにそへ候ばかりかきたてて、かへもんにねんごろに申しつけ候まゝ、このほうのかねもとゞき候はゞ、ふたつにわけてむすめにわたし申べし。このほうのきる物、よろづどうぐも、二つにわけわたし申べし。一、いんきよ様へ、あふぎのこそで、しん上申べし。一、かねをひと手にとて、すこしもかし申まじく候。ひそかにあきないなどは、させ申すべし。一、われらゐ候はぬとて、ふたりのむすめきたなくかいどうかけまはらせ、いやしのこどもをつれにしてあそばせ申すまじく候。おくふかくきれいにそだて、八つ九つにもなり候はゞ、てならいをさせ申すべし。いづかたにゐ申候とも、まちなみにゐ申まじく候。ひとのうらやしきなど、かたわきをかり候てゐ申べし。一、ぶちの馬、天野さう右衛門どのをたのみ、うり候て、かねにいたし可申候。一、われらのために、てらへぜにを、一もんやり申まじく候。しゆつけを、たのみ申まじく候。みづむけもいらず候。しに候ひをいとい候事も、むやうにて候。くれぐれ、われら申しおき候ごとくにいたし候べし。われらしに候ひをかきつけ、はしらにをしおき候て、そのひには、むすめにゆをもひかせ、かみをゆい、つめきらせ、きる物のほころびをもぬい、てならいをもさせ、ちへをつけて、これをわれゝゝへのたむけにいたし申さるべし。くれゞゝみづむけせうじんなど申候事いらず候。一、むすめ人がましくそだて候事ならず候て、はしぢかくあさましきなりにて候はゞ、ふたりながら、うみへしづめ申べし。うきめをみせ候事、なかゝゝいやにて候。一、ちいさきしづのかたな、たじま様へ進上申すべく候。そのほかかたなわきざし、ゆみやりてつぽう、なにもかも、みなゝゝうり候て、むすめにとらせ申べし。一、たじま様より、御あづけ候どうぐどもは、みなゝゝ、たひやうかたへ、かへし申べし。一、ふとうのあねごへ、ふるきかめやじまのこそでまいらせ申べし。一、こども、かみがたへのぼり候はゞ、かへもんをたのみともにつれ申べし。のぼりくだりのろせんほど、こめをわたし申べし。いそがはしく候まゝ、くはしくは、かゝず候。よきやうに、よろづおはからい候べし。以上。卯四月廿七日 小平次(花押)
断簡
一、いんきよ様御ちやのまのうらぐちより、よそのものうちをみいれ申べく候まゝ、ことはりをいはせ候てみせ申すまじく候。一、かまやにて、あふかたのときひをたくまじく候。いんきよ様の御ようとて候はゞ、きづかいなく、たかせ申べし。一、たやべやのまへより、うらへいでゝくちあけ候はゞ、そのまゝふをつけ申べし。一、せつちんつかへ候はゞ、しほやのひやくせうまいり候ときとらせ申べし。一、つみわた、びんぎにこすし。さくらだよりびんぎあるべし。一、あめかぜふき、すさまじきよは、ながやのおんなども呼び候てねかせ申べし。いんきよ様へも、ひとりこし申べし。一、ひのようじん、ぬす人ようじん、よそのものうちへいれ候はぬ事、つかいおんなどもにふだんきづかい、とのあけたて、此ぶんきづかい申べし。一、ねんぐの事、ちぎやうゝゝへ、きつく申こすべし。よろづりこうにこゝろがけべし。一、たしかなるわかとう、こせう候はゞ、をかせ候て人も二人もこすべし。こものも一人もこすべし。二ねんもかんにん申候。一、七つすぎてよりひをたくまじく候事。一、ともしびむやうにて候。あかきより、ふし申べく候事。一、だいどころのあいのと、つねゞゝたてゝをくべし。かりそめにもあき候はゞ、よくゝゝあらため申べし。一、くらのくち、あけたてかんやうにて候。だいどころよりくらへのくち、人をつけをきてあけさせ申べし。そのくちあき候はゞ、おくみへ申べし。きづかい申べし。一、くらせばく候はゞ、ねのよきころこめをうらせ申べし。たゞし、ごんへや九らへに、だんこう申べし。一、九らへをぶさたに申まじく候。二らすけにもこのよし申べし。一、よるはひやうしぎうたせ申べし。一、あいこ、おふちやくをいたし候はゞ、せつかん申べし。せつかん申候ても、きゝ申さず候はゞ、 [この以下脱失、不全]
本書の末に記す。此文四月晦日と有候は、大阪御和睦後、伏見御城在勤致候砌の文か。委舗訳相知れ不申候。後の卯四月廿七日と有之は、夏御陣打死以前、妻方へ差越候文と存られ候。年久しき故、訳相分りかね申候。
系図
廿六代重政 竹丸、長次郎、半兵衛尉、但馬守従五位下、当時周防守家也。重克 亀千代、小平次、天正八年庚辰六月二十五日酉刻生。永原重政異母弟。自若年奉仕台徳院殿。元和元年乙卯五月、大阪再乱、御小性組水野隼人正忠清組。五月七日到天王寺辺、先進打死。于時三十六歳。当時山口周防守家頼山口十右衛門家なり。
天祥公の『武功雑記』に載す。大坂にて御旗本打死衆二十三人。大名には、小笠原兵部大輔、同信濃守、本多出雲守。御書院番衆水野隼人正組、松平助十郎、山崎助四郎、松平庄九郎、山口小平次、簗田平七、同子平十郎。同断青山伯耆守組、古田左近、松倉蔵人、別所主水、大島左近大夫、野一色頼母、服部三十郎。大番衆高木主水組、米倉小伝次、大岡忠四郎、林藤四郎、間宮庄九郎、筒井甚之助。此外安藤彦四郎[帯刀嫡子]、御使番安藤次右衛門、三十郎兄坂部作十郎。この中所見その人なり。
2017/04/20(木)北条宗哲覚書フルテキスト
[]でくくった部分は、文の横に振ってっあった部分で、大体は振り仮名となっている。
おほえ
一、きら殿御屋かたと申されへし、こなたの御やかたをハ、おたハら御屋かたと申てよく候、又ハ小田原殿とも、様とも申されへく候
一、御もしうちにてハ、上さまと申候ハん事もちろん、こなたかたへの文の上かきせうがう候ハてかなハぬ事にて候、なに殿といふ御名[ナ]づけ候てもつとものよし、けんあん申候つると、大かた殿へ申給ふへく候、これハ正月の文より入候へく候
一、大かた殿をハ、御たいはうと申されへく候、たゝしこなたかたへの御文にハ、大かたとのとやわらけ御かき候てよく候、心ハ一つにて候
大方[たいはうこゑのよミ ひくわんしゆのことハおうかたよミ]これはひつきやうしてハおなし事也、大上様[おうかミさま]とも申物也一、きら殿の御前[マヘ]へゝまいり候ハん物、上らふとりつき給ふべく候、又後[ノチ]ゝの事ハ、あまりきやくしんも、かへりてわるく候へく候
一、しうけんのときのもやう、あなたのしたてしたる人の申やうにせられ候へく候、大くさなにと申なとゝたつね申候とも、おほえ候ハぬと、返[ヘン]たう候へく候
一、さためてつねの三こんにて候へく候、さやうに候ハゝ、ほんほんのしき三こんにて候へく候、さやうに候ハゝ、くほによくたつねられ候て、したいちかハぬやうに候へく候、つねの三こんにて候ハゝ、へちきなく候ほとに、やうかましく申されましく候
一、三こんの三さか月、しうけんのときハ三ツにて御まいり候物にて候、せつく、ついたちにハ、さ候ハねともくるしからす候、いわれハ御なりの時ハ、上に候かわらけ一ツにて三とまいり候
一、引わたしのときくハへの事、くハへハいて候へくとも、くハへ候ハぬ物也、そのことくに御さた候へく候、しき三こんの時ハもちろんにて候
一、みうち衆御れい申され候ハんやうたいの事
せたかや殿の御いへにつきたるおとなしゆをハ、一つれに、そのしゆはかり御あひしらい候へく候、三のまへん[御つきのさしきの事]にて、ひきわたしにて、上らふしやうはんしかるへく候、御つきと申ても、しやうしひとへの所なとハあしかるへく候
一、ほりこし殿の御いへよりつきてまいりたるおとなしゆをハ、一とに御あひしらい候へく候、あひしらいハおなし御事にて候
一、おとなしゆニ御さか月給ハん時、しやく申候ハん人なく候、上らふせんをおしやふり給ふて、おくへ御たち、御さか月にちやうしそへて、御いてまいらせ候、これにてよく候へく候
一、きんしゆの衆御れい申候ハんやうたいおとなしゆとすこし引かへて候てよく候、これもさしきハおなしさしきにて候へく候、御さかつきハかり給へく候、かさ月のくきやうにくミ付候物候
一、おとなしゆ、きんじゆ衆御返[ヘン]れいのありやうハ、一両日すき候て、御ひきよういちうもんそへ、高はしかうさへもんを御たのミ候て、つかハされ候へく候
一、高はしかうさへもんにこそて御やり候ハんハ、三日の御しうけんのうこ過候時[シ]ふん、御とをりへめし候て、つかハされ候ハんか、これハ大かたとのへよくたつね申され、御いけんのやうに候へく候、もしじよの人ゝおもふ所も候、むよう候と御いけん候ハゝ、ミつしむくのすけをつかゐとして、やとへ御おくり候へく候、さ候とも、ひろふたにハ入ましく候、つゝらなとふせいに入候て、とりいたし、ひたりのてにてすへ、右[ミギ]のてにてうへををさへ、まいらせ候へく候、一さい下ての人に御つかい候こそて、ひろふたにハすへ候ハぬ物にて候、たとへて申候、くほうさまより、三くわんれいはしめめんゝゝにくたされ候も、ひろふたさた候ハす候、御一そくの御かたきら殿、石[イシ]はし殿、しぶ川殿なとへ、御ふくまいられ候事も候つる時も、ひろふたハいて候ハぬよし、いせのひつちう物かたり候、そう二なとハ、きんしゆ候へハ、見およひ候つるとて候、くけ衆御けらいへも、同事とて候、みのとき殿にて、さくかくニいたされ候ことてを、れん中よりひろふたにすへていて候時、ほうこうのきやう衆はらい候つると、そう二物かたり申候、ついてのさいかく御心へ候へく候一、おたハら二御屋かたより御れいき候へく候、御つかゐおとなしゆ御あひしらいのことく引わたしにて候へく候、きんしゆの衆にて候とも、屋かたの御つかゐにて候ハゝ、御あひしらいハおなしかるへく候、屋かたハ今くわんれいにて候、その御つかゐハ御ほんそう候ハてかなハぬ事候
一、一そくのしゆ、さん三との、新三郎ことき、いつれもれい申候ハんつかゐ、御屋かたの御つかいとハすこしかわり候へく候、大かたとのへ御たんかう候て、あひしらゐ給ふへく候
一、水主むくのすけ、比木つしよ、すへゝゝまてもまいりかよふへく候か、御ねんころ候へく候、大屋、なかたなとも、ひくわん一ふんのものにて候、御めかけ候て、御ようをもおほせつけ候へく候
一、清水[シミツ]、笠原[カサハラ]御れいにまいり候ハゝ、おとな衆御あひしらいのことくにて候へく候
一、御むかゐにまいりたるおとなしゆへハ、つきの日ミつしむくのすけつかゐとして、よへハ、御しんちうと、上らふより仰とゝけ、よく候へく候、たつしいかゝ候ハん哉らん、かうさへもんに御たんかう候へく候、御れい申され候て後にも、つかゐ御やり候ハんか、かうさへもんいけんに御まかせ候へく候
一、しん三郎かたへの御れいきハ、春よく候へく候、大かた殿へたつねあわせ申され候へく候
一、あき人しゆ御れいにまいり候へく候、御あひしらい、此ほと大かた殿ニなされつけたるやうにあるへく候
以上、大りやく此ふんか
一、正月くわんさんよりかゝミ、子のひ、七日、十五日いわゐ、大かたとの此とし月なされつけたることくにて候へく候、そのふんけんあん申候つるよし、御ことわりよく候へく候
三月三日、五月五日、みな月、七月七日、八さく、九月九日、いつれもおなし
一、いのこもちゐの事、きんねんおたハらにしかゝゝと御いわゐ候ハぬまゝ、やうたい人わすれ候、されともきゝおよひ申候ふんハ、御まへゝまいり候四はうの上につミたるもちを、一つつゝ御はさミ、ちやくさのめんゝゝ衆ハ三くわんれい、山名[ナ]、一色[シキ]以下[イケ]のかたゝゝへ被進候、其後[ソノノチ]たれにても御ともしゆ御せんをもちて、御とをりへいてられ候て、しこうの御ともしゆ、きんしゆへいたるゝさよし承候、国ゝにある大めいハ、代官をのほせはいりやう候、大裏[リ]の御やうたいをも、西[にし]殿へ尋申候、当関白さいせんにはいりやう候て、したいに大なこんまてはいりやう候、これハ女房[ほう]しゆのいたさるゝとみえ候よし、御物かたり、しか■ハ御いわゐ候ハん時ハ、上らふへハさしきにハさミてまいらせられ候へく候、中らうへハ上らふはさミ候ていたされしかるへく候、おもてハ、おもてにての御いわゐにて候へく候まゝ、申事なく候、このいわゐハ、天りやくの御かとの御とき康保[かうほう]年ちう、むらさきしきふいたしたると、ふるき物にハみえ候、大りの御まつりことかくゝゝのうちにて候、ぶ気[ケ]に御いわゐも、たかうちいらゐハくけに御なり候まゝ、御いわゐにて候へく候、ついてのなまさいかく申候
一、さとうしゆまいり候ハゝ、御さか月給、御ひき給候へく候、あたなかたに候ハんするさとうしゆまいり候ハゝ、御ねん比ハ候へく候、なれなれゝゝしくハ御おき候ましく候、ついてに御心へ候へ、さとうとても、おとこのめのくらきにて候、女中[シヨチウ]かたへあんないなしに立[タチ]入物にてハなく候、てんかそのふんにて候、やすき事やうしゆゐん殿の御とき、うちつなくわ一と申候けんきやう候つる、へいけ御きゝ候とて、われゝゝおほえ候て、からかミのまへ、一とめし候つる、その時もやうしゆゐんとのハおくのまに御さ候、きんねんさとうと申せハ、いつれもおくかたへまいり候、心へかたく候へとも、御国ふりにて候まゝ、一人して申されす候、たゝしミん一なとまいり候ハゝ、御心やすく御よひ候てもくるしからす候、おさなくより御しり候、又としよりぬ候か、ふつつか物にて候、御ねんころよく候へく候、さ一これ又おなしこときの物にて候、その外ハなれゝゝとハめし候ましく候、さて候とも、さとうしゆなと、三こんのなとのうちにハ、御しやうはんにハめし候ましく候、御つきにて給候か、又御またせ候て、のちに御さかな給候て、くこん給候へく候、うこの時ハ、御しやうはんくるしからす候、てんしんとうせんの事候、かやうの事ハ、へいせいもかたきをめされつけ候て御をき候へく候、きんねんこゝもとさためかたく候て、きハゝゝとも候ハす候、するかなとハ、さやうの事、きハめてしきはうゝゝにて候、御かくこ候へく候、
十二月十六日/そう哲(花押)/宛所欠
戦国遺文後北条氏編3535「北条宗哲覚書」(立木望隆氏所蔵宮崎文書)